【vol.4】成功話だけではわからない、「アメリカで生き残る」という覚悟の意味。

こんにちは。ゆうこりん(@koji_i003)です。

外国人である私たち日本人が、アメリカでアスレティックトレーナー(ATC)の仕事をどのように見つけるのかについての一次情報は、なかなかネット上では簡単に見つかりません。

特に「就活でどんな苦労があったか」という部分は、あまり語られることは多くないのではないでしょうか。

今回は、現在USL(アメリカのプロサッカーリーグ)で働くうめきATCに、アメリカでの就活の【苦い部分】もしっかり書いていただきました。

前回の記事はこちら☟

【vol.3】大陸横断4000kmのドライブ!?新卒日本人ATCが、アメリカで仕事を獲得するまでの道のりとは

2019-03-17

うめきATC
こんにちは。うめきあきらです。

アメリカでの就職活動に関するコラム。

前回は大学院修了の時期に行った就活について書かせて頂きましたが、今回はその続編として、OPTという制度を使ってフルタイムのインターンをしている最中の就職活動についてお話をさせて頂きたいと思います。

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ATCになってからの初仕事

長い長い就職活動を終えて、初めて社会人として、プロのATCとして、メリーランド州の大学でインターンATとして働くことになりました。

そこでは秋に女子サッカー、そして春には陸上を受け持つことになりました。

田舎の小さなDivision 3の大学でしたが、そのヘッドが厳しくもとても優しい方で、忙しくものびのびと仕事をさせてもらいました。

8月頃から本格的にプレシーズンのトレーニングが始まり、女子サッカーの練習をカバーする毎日でした。

最初の2週間ほどは賃貸契約の関係で住むアパートに入居ができなかったのですが、ありがたいことにそのヘッドが彼の家に居候をさせてくれました。

一緒に出勤したり帰宅したり、毎日運転までしてくれて、彼の奥さんが毎日朝ごはんに夜ご飯まで食べさせてくれました。

その数週間後、やっと自分のアパートへの入居ができることになり、他のインターン2人とアパートへの引っ越しをすることになりました。

うめきATC
ヘッドの家はとても立派で快適でしたが、やっと自分のスペースが取れたということでかなりホッとした気分になったことを覚えています。

突然の電話

無事引越も完了して仕事を続けていたある日、テキサスの番号から留守電が入っていることに気がつきました。

その電話の相手は、就活の時に最終面接まで行ったテキサスにある大学のアスレティックトレーナー でした。

内容は「突然人事異動があって新たにインターンを探していて、もしまだ仕事が見つかっていなかったらウチに来てくれないか」といったもの。

すでにメリーランドの大学で仕事を始めていたので、そのときは断りの電話を入れました。

そのあとTexas Tech大学院時代の大親友にこの件を話するとDivision 1の大学で働きたかったんだし、悪いオファーじゃなんだから考え直したら?」と言われ、一度はその話を断ったものの、改めてもう少し考えてみることにしました。

日本人の恩師や大学の教授に相談に乗って頂きましたが、自分のために最もいい決断をしたら良いということを言って頂き、色々悩んだ末、最終的にそのオファーを受けることにしました。

この決断はメリーランドの大学で雇ってくれたヘッド、そしてこの仕事に繋げてくださった日本人の先輩の恩を反故にすることにもなり、非常に心を悩ませました。

しかしながらDivision 1の大学で経験が積めるということ、いつまでアメリカに居られるか先行きも不透明でなりふり構っている時間もないこと、全てを考慮しての決めたことでした。

お世話になったヘッドと、苦渋の別れ

ヘッドにはこの決断を大反対されました。

仕事を始めてから本当によくしてくれたので、自分勝手な決断に申し訳なさでいっぱいでした。

テキサスへ引っ越す前日の夜、最後の仕事を終えてトレーニングルームに戻るとヘッドと奥さんだけが残っていました。

次の日の朝も挨拶に立ち寄るつもりでしたが、お二人には大変お世話になったので感謝を伝えたいと思って何か喋ったと思うのですが、途中であまりの申し訳なさに涙がこみ上げてきて号泣してしまいました(25歳の良い大人が、お恥ずかしい限りです。。。)。

ヘッドには「職場のボスとしてはお前の決断には大反対だけど、個人としては応援している。頑張れよ。」と言ってもらい、お別れをすることになりました。

そんなこんなで次の日にテキサスのダラスへと旅立ちました。

ヘッドへの多大な恩と、自分のした不義理は一生忘れないでしょう。

メリーランドからテキサスへ

ヘッドに挨拶をして翌日、アリゾナで買い替えていたトヨタのカローラ(2台目のカローラ)と、それいっぱいに詰め込まれた荷物と共にメリーランドを後にしました。

メリーランドの大学があった場所からテキサス州のダラスまでは約20時間。

テネシー州で一泊して1日約10時間ずつ運転しダラスへと引っ越しました。

大学院を卒業してわずか4ヶ月。

これが4ヶ月間で3回目の引越しでした。。。笑

うめきATC
すでに40時間の引越しを経験したので20時間の運転はかなり楽勝でした。笑

テキサスへ近づくにつれ、次の大学での仕事へのワクワクと、アメリカの故郷とも言えるテキサスに戻ってこられる嬉しさがこみ上げてきたのを今でも鮮明に思い出します。

新しい職場

ダラスの大学ではフットボールのインターンとして働きました。

それからまもなくして、女子サッカーと女子水泳・ダイビングのアスレティックトレーナーが退職することになったので、その2つのチームを次の人が雇われるまでの間担当させて頂けることになりました。

メリーランドの大学に続いて思わぬ形でサッカーを続けて見られることになり、この辺りから「やっぱりサッカーで働きたい」という気持ちが固まった気がします。

選手もみんな温かく迎えてくれ、毎日楽しく仕事をさせて頂きました。

この大学ではスプリングフットボールと呼ばれるフットボールの春シーズンが終わるまでインターンをしました。

ビザの壁

さて、実はここからが本記事で一番書きたかったことなのですが、インターンの期間が終了した後は就労ビザを発行してくれるフルタイムの仕事を見つけなければ、これ以上アメリカに残ることが出来ませんでした。

そのため、ダラスでのインターンと並行して、また新たに就職活動をスタートさせました。

特にプロサッカーは大学スポーツと違って3月からシーズンが始まり、そして終わるのが11〜12月なので、仕事の空きが出るのもその時期になります。

メジャーリーグサッカー(MLS)でフルタイムもしくはインターンを取りたいと思って就活を始め、この時は前回の教訓を生かして、MLS全チームにレジュメを印刷して例え公募をしていないチームにも送りました。

うめきATC
このときは、レジュメの印刷に質のいい紙まで用意しました。

結論から言うと、このときフルタイムの仕事は取れなかったのですが、ワシントンDCにあるDC Unitedというチームから2月頃に連絡を頂き、お金は払えないけど仕事が見つかるまで是非働いて欲しいと言って頂きました。

相手からはすぐにでもと言っていただいたのですが、ダラスの大学でのインターンを全うしてから行きたかったので、その辺りを上司と相談し、前述の通りスプリングフットボールの終わりとともにワシントンDCに引越しをすることに決まりました。

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テキサスからワシントンDCへ

DCに引越しをすることになったのは、20164月下旬のこと。

ダラスに住んだのはわずか半年間でした。

このとき、大学院卒業から約1年ほど。

この移動が、なんと4回目の引越しとなりました。

自分で振り返ってみてもちょっと異常だなと思うのですが、アメリカで生き残るためにとにかく必死で「このままでは絶対に日本には帰らない。」という強い意志だけが自分を突き動かしていました。

ワシントンDCはメリーランドに接していて、ダラスからはこれまた約20時間。

また車に詰められるだけの荷物を詰め込んで、旅路へ出ました。

うめきATC
この時すでに、車で引越しをするのもお手の物になっていました。笑

念願のサッカークラブでのインターン

DC Unitedでインターンを始めたのが2016年の4月下旬。

ここから約3ヶ月、インターンをさせてもらいながらフルタイムの仕事を探したのですが、これまた大苦戦。

この時はインタビューは愚か、応募先から返事が返ってくることもほとんどありませんでした。

実はダラスの大学にいた時に、今私が住んでいるフィラデルフィアにある大学で博士課程をしながらの仕事が取れそうだったのですが(実際面接も2回させて頂いていました。しかもサッカー。)、突然そのポジションが打ち切りになってしまい、その話も無くなってしまっていました。

この当時の就活で、本当に仕事が取れそうなギリギリまで行き着いたのはこれが最初で最後。

この後は計100校以上応募して、わずかに1校、ミシガン州のど田舎にあるDivision 2の小さな大学と一度面接をさせて頂いたきりでした。

うめきATC
この時ばかりはもう日本に帰らないといけないかも、といよいよ弱気になりました。

経験の少ない若い外国人が、フルタイムで仕事を探す困難

フルタイムを探す就活での1番のハードルは経験の少なさと、それに加えてビザの問題です。

ATCとしての経験が1年しかない上に就労ビザが必要となると、よっぽど強いコネクションがあったり、そこですでにインターンとして働いていて気に入られていない限り可能性は限りなくゼロに近いと言っても良いと思います。

さらに今はトランプ大統領の影響で就労ビザも取りにくくなっている様なので、アスレティックトレーニングを志す留学生には逆風の状況です。

結局、このときはフルタイムに見切りをつけ、Graduate assistant (GA)という大学院生として学校に籍を置き勉強をしながらアスレティックトレーナーとして仕事をするポジションにもどんどん応募をしていきました。

これよりも前にもフルタイムの仕事が取れなかった時の保険として何校か応募していたのですが、結局一校もオファーをいただくことが出来ていませんでした(この時もっと出しておくべきだったと後悔)。

この当時はすでに修士号を持っていたので、大学院に戻ることに強い抵抗がありました。

しかしながら現実的には、修士を再びやりながらGAとしてアスレティックトレーナー としての経験を積むことが今現在最もフルタイムの仕事に繋がる可能性のある選択肢となっています。

GAとしての2年間を終えると、インターン期間の1年と合わせて計3年の経験を積むことができるので、フルタイムの仕事を取るたの「最低ライン」の経験は満たせることになります。

ただし、いくら経験を積もうともビザの問題がつきまとうので、こればかりは人に恵まれる「運」がかなり影響してくることは否めません。

私の場合はOPTでアメリカに滞在できる期限が6月の末までだったのですが、それまでに仕事が見つかることはありませんでした。

かろうじてノースカロライナにある大学のGAとしての仕事のオファーをもらえたのが、OPTが切れた後の7月中旬のことでした。

OPTはそれの有効期限が切れてから60日間以内にアメリカから出なければなりません。

逆に、60日間は出国の猶予があるということです。

この猶予期間があったおかげでかろうじて大学院生として仕事を得ることが出来ました。

幸運だったのは、この仕事の担当が男子サッカーであったことです。

この時はスポーツにこだわっている余裕など皆無だったのですが、一番に働きたかったサッカーの仕事が舞い込んできたのは本当にありがたいことでした。

うめきATC
これがのちに現在の仕事にも繋がることになるのですが、その話はまた別の記事でシェアしたいと思います。

まとめ

今回は、アメリカでの就活・引越しに関する記事の後半を書かせて頂きました。

この記事を書きながら、私は沢山の人の恩に助けられて、今もこうしてアメリカにいて仕事ができていることを改めて実感しました。

初心を忘れず、これからも仕事をまっとうしてきたいと思います。

文/うめきあきら
編集/ゆうこりん

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ゆうこりん

BOC公認アスレティックトレーナー(ATC)でもある整形外科看護師です。 スポーツ医学やアスレティックトレーニングをテーマに空き時間に気軽に読めるメディアを運営。スポーツイベントの救護、スポーツ医学関連団体の広報担当などの活動も行なっています。 内科・耳鼻科・眼科混合病棟→米大学院→スポーツ整形外科。

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BOC公認アスレティックトレーナー(ATC)でもある整形外科看護師です。 スポーツ医学やアスレティックトレーニングをテーマに空き時間に気軽に読めるメディアを運営。スポーツイベントの救護、スポーツ医学関連団体の広報担当などの活動も行なっています。 内科・耳鼻科・眼科混合病棟→米大学院→スポーツ整形外科。